【柳生一族、そして宗矩】その26:「第三の柳生」仙台柳生

 さて、前回でやたらに伸びた宗矩と江戸柳生家の話も終わりましたが、
今回は、「第三の柳生」と題打った、宗矩の江戸柳生、利厳の尾張柳生以外の
「もうひとつの柳生家」についての話と、
柳生一族とは異なる「柳生一門」の話をしようかと。


 …と、思ったのですが、書いてみたらやたらな長文になってしまったので、
今回は「第三の柳生」の話だけにしようかと。
「柳生一門」は明日、別に挙げます。


■「第三の柳生」仙台柳生

 柳生家には、江戸柳生と尾張柳生の二つがある、とは既に書いた通りですが、
実はもうひとつ、柳生一族の家があるので砂。


 その名は仙台柳生。
仙台伊達藩五十五万石で剣術指南役として伊達政宗に仕えた柳生権右衛門の家です。
…まあ、この「仙台柳生」ってのは通称というか、全然正式名称じゃないのですが、
わかりやすいので使ってみただけです。すいません。


 さてこの権右衛門は利厳の弟、即ち、石舟斎の孫です。
(正確な名は不明で、厳倚(よしより?)とも厳重とも言われているのですが…)
長男厳勝の三男であり、血筋で言えば、これも宗矩の甥であり、
十兵衛の従兄弟でありま砂。
この権右衛門も、何気に石舟斎直々に教えを受けており、
免許も貰っているのでアリマス。
つまり、技量的には十分なものであっただろうと。


 石高については不明であり、百石とも七百石とも言われてま砂。
また、逸話の類もなく、というか、全然記録が残ってなくて、
途方に暮れるものがあります。
(ただ、探ってみたらこの権右衛門の子孫を名乗る人が出てきてちょっと吃驚)
なお、後に仙台には柳生四高弟の一人、狭川助直(新三郎?新左衛門と
同一人物か不明)も来て、新陰流狭川派を開き、これによって新陰流は
伊達家の御流儀となった、と言われております。


 ちなみに、後に仙台には柳生心眼流という流派もあるのですが、
発祥についての関係性は不明なものの、流祖竹永隼人が宗矩に新陰流を学び、
そこから発祥したとか、一部流派では、流派の発祥そのものには関係ないけど、
法祖に十兵衛、流祖に荒木又右衛門を奉っており、
影響を受けている、としているところなどもアリマス。
(他にも、心眼流のルーツは中国武術にあり、としてるとこもあって、
 面白いでアリマス)


 【柳生心眼流】


 【荒木堂(柳生心眼流)】


 【柳生心眼流の謎(心眼流中国武術説)】
 

 あと、余談ですが、仙台にも「柳生」という住所がありま砂。
何か関係性でもあるんでしょうか喃。


 【「仙台 柳生」-google】
 

 もひとつ余談を重ねますが、「十兵衛ちゃん2」の北柳生のモデルって、
もしかしたらこの権右衛門の一門のことかもしれんです喃。
あれは柳生家の影響力の要因たる一族の流派を、何故か宗矩が焼き討ちするという
相当不思議な脚本だったのですけど、まあ、シベリア柳生の時点で、
そういうことを言うのは野暮で砂。


 さて、斯様なわけで、柳生の家は、この三家(江戸、尾張、仙台)になります。
これが、石舟斎を祖とする「柳生一族」の全てです。
(あとは宗章や純厳のように討死か、久斎、徳斎のように出家しているかなので)


 しかし、話を「一族」に限定しないのであれば、
柳生は更にその数を増してしまうので砂。
即ち、「柳生一門」でアリマス。


 てなところで、今日はここまで。
ちょっと短めですけど、その分、明日のテキストが
やたら長文になるので、ご容赦ください。
ではー。