【柳生一族、そして宗矩】その14:柳生但馬守宗矩(2)「柳生宗矩の関が原〜柳生家相続・将軍家指南役就任」


【前回のあらすじ】
 文禄三年(1594年)、
24歳ニート柳生宗矩は徳川家の採用試験に向かった(親同伴で)


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          /   _ノ  \
          |    ( ●)(●)
          |     (__人__)   家康「得技は無刀取りとありますが?」
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 /    (●) (●) \    宗矩「はい。(親の特技が)無刀取りです」
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,,.....イ.ヽヽ、___ ーーノ゙-、.
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    |  \/゙(__)\,|  i |
    >   ヽ. ハ  |   ||


 そして年収二百石で徳川家へ就職に成功した(親の力で)

                                 ,.へ
  ___                             ム  i
 「 ヒ_i〉                            ゝ 〈
 ト ノ                           iニ*1


【前回のあらすじ:終わり】


 で、そんな難儀な日々が6年も続いて、時は慶長五年(1600)、
宗矩が家康に呼ばれるところから今回の話は始まります。
(AAが多いのはご容赦ください。あれこれ試してみてるとこなので…)


 さて、この時期、既に秀吉は亡く、
家康と三成の間の関係は致命的なまでに悪化しており、一触即発の状況でした。
そんな中、上杉家に謀反の疑いあり、ということで、
下野国小山まで軍を率いた家康の耳に、三成が兵を挙げた、との情報が入ります。
まあ、要するに関が原直前で砂。


 三成挙兵の報を聞いた家康は、宗矩を呼び出し、石舟斎あての書状を渡すと、
これから石舟斎のところへ使者として発つように命じます。
で、関東から大和柳生庄まで戻る宗矩。


 実家に戻った宗矩は、早速石舟斎に家康からの書状を渡します。
その書状に書かれていたのは、


 「老師(石舟斎)と宗矩には、大和国の小豪族と共に、
  伊勢の筒井定次と協力して、石田側の後方撹乱をお願いしたい」


 という内容でありました。
つまり、決戦前の下準備で砂。


 これを失われた領地の回復のチャンスと捉えたかどうかは不明ですが、
ともあれ、石舟斎はこの家康の要請を受け、宗矩と共に周囲の小豪族を取りまとめ、
因縁のあった筒井家とも協力し、石田側の後方撹乱工作を行います。
この工作の具体的内容は不明なのですが、とりあえず状況だけで言えば、
この後、家康が戻ってくるまでの間に、


・元筒井家の家臣で浪人していた者達を筆頭に、
 大和、伊勢周辺の小豪族や浪人達のある程度が徳川側についた
 (少なくとも、石田側に着くのを控えた)


・美濃の小城の城主たちが相次いで石田側から徳川側に鞍替えをした


 などが起きています。
これ以外に何があったのか、また、これらが本当に石舟斎と宗矩による
行動の結果だっかのか、それはわかりませんが、
状況を鑑みるに、柳生が一族を挙げて動いたこと、
及び、それに応じた小豪族達がそれなりの数いたことは間違いないでしょう。


 なお、この後方撹乱工作の際、柳生家は柳生庄と距離の近い伊賀甲賀の忍者と
連携を取ったのでは、という説もありますが、それを裏付ける史料はないため、
これについては俗説程度に考えておくのがよさそうかと。


 また、これ以外に石田側の情報収集なども行っていた可能性があり、
もしそうであれば、家康の元には、宗矩発の石田側の状況が逐次届いていたわけで、
これもまた、柳生一族の活躍のひとつであったと言えるでしょう。
(無論、柳生だけが情報収集源ではないわけでしょうが)


 そして時は過ぎ、柳生一族の工作も一通りの成果を挙げた頃、
家康は岐阜まで戻り着き、そこで一泊した後、大垣北西の赤坂へ向かいます。
この途中にある虚空蔵山と南禅寺山の間、余地越を通る時に諸大名が出迎えたそうで
その中に混じっていた宗矩は、戦場を眺める家康の輿に近づき、
自分に下されていた使命を果たし終えたことを報告します。


 宗矩「御下命の件、無事、果たし終えました。
    お役目を果たした方々とも、皆、ここに参じております」
 家康「うむ、皆、大儀であった。明日は勝とうぞ!」


 会話は現代風に意訳してますが、まあ、こんな塩梅で、
家康は、宗矩が自分が命じていた使命を果たしたことを確認し、満足します。
(一緒にいる小豪族や諸将を見れば、役目を果たしたことは把握できますしね)
この後の宗矩については特に記録はありませんので、
おそらく、家康の近侍に戻ったかと思われます。


 そして、誰もが知ってる関が原の合戦。
ここでは特に宗矩も柳生一族も何かをしたわけではないので略しますが、
結果はご存知の通り,家康率いる東軍側の勝利に終わります。 


 合戦を終わらせ、大坂城西の丸に入った家康は、
勝者として関が原についての論功行賞を行います。
西軍側の大名が大幅に弱体化される中、家康に従った柳生家には、
今回の後方撹乱工作の功により、旧柳生領二千石を復されます。
ようやく、先祖代々の所領を取り戻すことが出来たわけで砂。


 なお、この柳生領二千石は、形式としては石舟斎に与えられたものの、
実質的な感覚としては宗矩に与えられたも同然の体でありました。
また、この翌年の慶長六年(1601)、秀忠の剣術指南役に就任することとなり、
二千石とは別に、宗矩個人の扶持が千石まで引き上げられることも加わって、
宗矩の家督相続は、おそらくこの頃には確定したものと思われます。


 その後、家康の将軍就任、更に秀忠への世襲などによる
徳川家による支配体制への移行が進んでいくのですが、
この時期は、柳生一族、そして宗矩個人にとっても、
大きな出来事が続いた期間でありました。


 時期         出来事
 慶長八年(1603)  : 宗矩の兄・宗章、討死
 慶長八年(1603)  : 甥の利厳、加藤家に仕官するもすぐ致仕する
 慶長八年(1603)  : 甥の権右衛門(利厳の弟)、伊達家に仕官する
 慶長九年(1604)  : 石舟際、利厳へ新陰流正統相伝
 慶長十一年(1606) : 父・石舟斎死去
 慶長十二年(1607) : 宗矩37歳、長子七郎(後の十兵衛三厳)誕生
 慶長十七年(1612) : 宗矩42歳、次男左門(後の刑部少輔友矩)誕生
 慶長十八年(1613) : 宗矩43歳、三男又十郎(後の飛騨守宗冬)誕生
 慶長二十年(1615) : 春桃御前(石舟斎正室・宗矩母)死去


 ここで皆さんご存知、最メジャー柳生の十兵衛誕生ですよ。
生まれた年が石舟斎の死んだ次の年だった事も相まって、
「石舟斎の生まれ変わり」とか言われたとかいう話もありま砂。
また、石舟斎の死に伴い、宗矩が柳生家当主を継いだと思われます。
(ただ、調べると、柳生領二千石を宗矩が領したのはもう少し後らしいので、
 もしかしたら名目上厳勝が一度継いだのかも)


 そういうわけで、将軍家となった秀忠の剣術指南役となり、
既に一剣士としては望み得る限りといっていい地位
(将軍家剣術指南役にして三千石の直参)を得た宗矩ですが、
この後、その生涯で、最初で最後になる剣豪としての腕を示す出来事と、
一剣士たることを超える端緒となる出来事が起こります。
次回は、そのあたりの話をしようかと。

*1:)  i  {              ____           |  ヽ  i  i           /__,  , ‐-\           i   }  |   i         /(●)   ( ● )\       {、  λ  ト−┤.      /    (__人__)    \    ,ノ  ̄ ,!  i   ゝ、_     |     ´ ̄`       | ,. '´ハ   ,! . ヽ、    `` 、,__\              /" \  ヽ/    \ノ ノ   ハ ̄r/:::r―--―/::7   ノ    /        ヽ.      ヽ::〈; . '::. :' |::/   /   ,. "         `ー 、    \ヽ::. ;:::|/     r'"      / ̄二二二二二二二二二二二二二二二二ヽ      | 祝 |      就 職 成 功       │|      \_二二二二二二二二二二二二二二二二ノ  しかし、直後に実家がまさかの全領地没収。超貧乏に。    ./ ノヽ\     ;| (○)(○|:    :|ヽ (_人_)/;  石舟斎「…俺はもうダメだ…ッ。 .   :| |. ⌒ .|;       葬式代は茶道具売って作ってくれ…常識的に考えて…ッ」     :h   /;      :|  /; '     / く、     \    ;| \\_    \    ;|ミ |`ー=っ    \  といって、せっかくの勤め先を辞めて帰ることも出来ないし、 どうしたものか、と悩む宗矩。           ____        / _ノ  ヽ_\ .     / (ー)  (ー)\     l^l^ln  ⌒(__人__)⌒ \ 僕今悩みがあるんだおー…     ヽ   L   |r┬-|    | 聞いてくれるお?      ゝ  ノ  `ー‐'   /    /   /          \   /   /             \ . /    /         -一'''''''ー-、. 人__ノ        (⌒_(⌒)⌒)⌒