【柳生一族、そして宗矩】その21:柳生但馬守宗矩(9)「心法の江戸柳生:解説・兵法家伝書(1)「殺人刀(せつにんとう)」」

 さて、前回、前々回と、宗矩の「活人剣・治国平天下の剣」の源流たる
父・石舟斎の兵法観と、友人・沢庵の「不動智神妙録」について説明しましたが、
今回は、その宗矩が書いた「兵法家伝書」を元に
「活人剣・治国平天下の剣」を解説していくでアリマス。


 まず、この「活人剣・治国平天下の剣」がどういうシロモノであるかというと、
今までも書いたことではありますが、


  「剣術を以って治国の術と為し、
   これを修めることを武士たる者の道とする」


 という思想なので砂。


 この思想の前提として、宗矩は剣術をふたつの種類、
即ち、元々の剣術である「闘争のための実用術」を「ちいさき兵法」に、
これに対する「統治のための剣術」を「大なる兵法」に分けました。
そして、


 「剣術は単なる闘争のためだけの術に非ず。
  そのようなものは”ちいさき兵法”であり、大将たるものが修めるものではない。
  大将たるものは”大なる兵法”こそ修めるべきである」


 と称し、従来の剣術に替わる、新たなる剣術像を提案したのでアリマス。
この「大なる兵法」についての解説を行った書物、
それこそが「兵法家伝書」である、というわけです。


 さて、宗矩は、この兵法家伝書を三部構成にしています。
「進履橋」「殺人刀(せつにんとう)」「活人剣(かつにんけん)」の3つです。
このうち、「活人剣」の中に「無刀之巻」という名で、
無刀取りに関する記述が含まれています。


 てなわけで、これから具体的な解説に移るでアリマス。
今回は、基本的にはポイントになる箇所を抜粋し、
そこに超約ばりの意訳と解説を入れ込む形で進めようかと。
毎度のことですが、当方自身、完璧に理解できてるつもりは毛頭ないので、
できれば現物を仕入れて(岩波版なら安いですよ?)、
読んでみられるのがベターかと。


兵法家伝書―付・新陰流兵法目録事 (岩波文庫)

兵法家伝書―付・新陰流兵法目録事 (岩波文庫)


 それでは、まず「進履橋」から。


■「進履橋」
 「進履橋」は、元々の新陰流、
即ち、上泉秀綱より石舟斎へ直伝された新陰流の技法について記した
「大凡の目録」となっており、宗矩本人の言説はそれほどありません。


 ただ、新陰流の基本となる考え、
「相手の心理を読み、それに応じて打つ」も語られているので、
「進履橋」の名前の通り、これを渡って、はじめて殺人刀、活人剣へ
至れるのではないか、というところではあります。


 なので、一文を取り上げるとすれば、この辺りでしょうか。


『わが心のうちに油断もなく、敵のうごき、はたらきを見て、
 様々に表裏をしかけ、敵の機を見るを、策を幃幄の中に運らす』

(意訳:あれこれやって、敵の動きを誘って、
    それにあわせてこっちがどう動くか考えとけ)


 この一文に象徴される新陰流の剣術を修める事で、
はじめて、それを応用する「活人剣・治国平天下の剣」に進める、というわけで砂。

 てなところで、以下、いよいよ本編たる「殺人刀」をば。


■「殺人刀」
 「殺人刀」において、宗矩は、まずこう切り出します。


『兵は不祥の器なり。天道之を悪む。止むことを獲ずして之を用ゐる、是れ天道也』
『一人の悪に依りて万人苦しむ事あり。しかるに、一人の悪をころして万人をいかす
 是等誠に、人をころす刀は、人を生かすつるぎなるべきにや』

(意訳:殺すのはダメ、ゼッタイ。
    でもまあ、仕方ない時もあるから、その時だけはOK。
    例えば、悪党1人のせいで皆が惨い目に遭ってる、てな状況なら、
    そいつを斬ればみんな助かるでしょ?
    これが殺人刀が活人剣になるってことだよ」


『兵法は人をきるとばかりおもうは、ひがごとなり。
 人をきるにはあらず、悪をころすなり』

(意訳:剣術で人斬るな。つーか人斬るのが剣術じゃねぇよ。
    人じゃなくて悪を斬るんだよ、悪を)


 まあ、剣術の意義について述べているわけで砂。
つまり、単に人を斬るのは「殺人刀」で、これは本来よくないものだけど、
これを使わないとダメな時もあって、その時、「殺人刀」は「活人剣」になるよ、と。
逆に言えば、それ以外の時に刀使うんじゃねぇ、と言ってるわけで砂。
(ちなみに、本書のタイトルたる「殺人刀」「活人剣」もこれが命名の由来)


 この辺を更に転じて言えば、


 「剣術なんて使わなくて済むならそれに越したことないよ。
  使う時があったらロクなもんじゃねぇし」


 とも言ってるわけですな。
のっけから従来の剣術否定でアリマス。キャッチーなつかみで砂。
で、そこに続いてこう書きます。


『兵法といはば、人と我立ちあふて、刀二つにてつかふ兵法は、
 負くるも一人、勝つも一人のみ也。
 是はいとちいさき兵法也。勝負ともに、其特質僅か也。
 一人勝ちて天下かち、一人負けて天下まく。是大なる兵法也。
 一人とは、大将一人也。天下とは、もろもろの軍勢也。
 もろもろの軍勢は大将の手足也。
 もろもろの勢をよくはたらかするは、大将の手足よくはたらかする也』
『太刀二筋にて立ちあふて、大機大用をなし、手足よくはたらかして勝つごとくに、
 諸の勢をつかひ得て、よくはかりごとをなして、合戦に勝つを、
 大将の兵法と云うべし』

(意訳:立ち合いなんかやっても意味ないだろ?
    あんなのやってどうするの?馬鹿なの?死ぬの?
    それより大将なら、自らの手足で剣を使う如く
    配下を使いこなす兵法を使いなさい。
    それこそが大将たる者がやるべき「大なる兵法」なんだよ」


 ここで、「ちいさき兵法」と「大なる兵法」が登場し、
同時に、「大なる兵法」こそ、望ましいものであると述べています。
まあ、「大将たるもの」って書いてる時点で、
読ませる相手が家光(or大名家クラス)なのが丸分かりで砂。
普通の弟子に読ませるなら、大将云々って下りは意義が薄れるところがありますし、
立ち合いを殊更に否定してるのは、あくまでも家光には、
「活人剣・治国平天下の剣」に執心して欲しい、という表れなのかなあと。
(ちなみに信憑性は不明ながら、家光には辻斬り疑惑がありまして、
 宗矩が変装して先回りし、斬りかかってきたその刀を無刀取りして、
 家光をお堀に叩き落して懲らしめた、という逸話もあります)


 そして、最後の詰め。
この「大なる兵法」をどう使うべきか、ということについての話になります。


『大将たる人は、方寸の胸のうちに両陣を張りて、大軍を引きひて合戦して見る。
 是心にある兵法也。治まれる時乱をわすれざる、是兵法也。
 国の機を見て、みだれむ事をしり、いまだみだれざるに治むる、是又兵法也。
 すでに治まりたる時は、遠き国々のはてはてまでも、そこの国へはたれ、
 ここの国はへたれたれと、受領・国司を定め、国の守をかたふする心の配り、
 是又兵法也』

(意訳:大将は合戦する時、勿論(大なる)兵法を使うけど、
    平和な時、国を治めることも実は兵法なんだよ。
    戦乱が起こる前に手を打つのも兵法だし、国が平和なら、
    その維持のために、誰を何処に配置するか考えるのも兵法なんだよ)


 こうして、「大なる兵法は合戦だけではなく、統治にも使えるものである」
と言い切ることで、


 「そもそも立ち合いなんてロクなもんじゃねぇ。
  そんなもんのために剣術使って何の意味があるんだよ」
    ↓
 「そういうのは”ちいさき兵法”ってもんで、
  大将が使うべき兵法ってのは”大なる兵法”なんだよ」
    ↓
 「”大なる兵法”は合戦のためだけじゃなくて、
  統治にも使えるんだよ」


 という三段論法(になってるんじゃろか…)を組み上げた宗矩は、
ここから、そのための心得について語り始めます。
この辺はやたら長い上に細かくなるのでいくつかの項目名と概要の紹介でご勘弁。


『大学は諸学の門也と云ふこと』
概要:大学という経書があるけど、あれは他の学問の前提になる書物で、
   学問を家に例えたら、門みたいなもんである。
   で、学問自体も、道を究めることを家とするならば、その門たるものである。
   だから、書物だけ読んで分かった気になったら大間違いだ!
   文章は教えの手引き程度のもので、教えそのものじゃねぇよ。
   その辺、勘違いしたらロクな奴にならんぞ。


『大学に、知致格物と云ふ事あり』
概要:大学に「知致格物」って言葉があるけど、
   要するに、理も事も全部修めた「無心」の状態になるってことだよ。
   そうなりゃ無敵だ。何にも考えなくてもベストな動きができる。
   それが目指すべき境地だから、そうなれるように頑張って修行するんだよ。


『表裏は兵法の根本也』
概要:兵法の基本は、裏表を使い分けることだ。
   相手が掛かってくるならそれに合わせて、
   掛かってこないなら、掛かってこさせるように仕掛けて、
   それに合わせてあれこれやるんだよ。
   ほら、方便って言うじゃろ?
   ウソかましても、最終的に世の中の平和に繋がれば、
   それでいいんだよ。


『平常心是れ道』
概要:「道」ってのは「いつも通りの心」でいることだ。
   何をするにしても、「何かをするぞ」とかいちいち考えてたらダメだ。
   そんなことを考えてたら、すぐ失敗するしな!
   いつも通りに自然にやれるようになったら成功できるようになるよ。
   いつもそういう風になってる奴こそ「名人」って言うし、
   そういう心の状態を「平常心」って言うんだよ。


『放心心を具せよ』
概要:なんかやった時、いちいち済んだことを考えるな。
   そういうのは不自由なんだし、よくないぞ。
   そこから離れられるように色々心得とかもあるけど、
   それが要らなくなるようにがんばれ。


 この他、剣術の具体的な技法(視点のポイントとか、動き方とか)を説いたり、
それを統治に使う場合、どういう場面で使うものなのか、と応用について話したり、
「もし攻撃するなら、相手を倒すまで攻撃しろ。反撃させるな。
徹底的にブチのめせ」とか言ったりと、細かな話も続きますが、
概ねのポイントはこんな塩梅でアリマス。
具体的な身体技法よりも、まず「心」ありき、というのがよく分かりま砂。
まさに「心法」。


 ここまでが「殺人刀」でアリマス。
このあと、「活人剣」になるのですが、これまたやたらな分量になったので、
今回はここまでで。