【柳生一族、そして宗矩】その18.5A:剣道=GUN道
「その18」を書き終えた後で、この話は、
「当時の」武芸者と剣術の評価と「現在の」武芸者と剣術の評価のズレを
考慮に入れてもらわないと、宗矩の凄さが伝わりにくいかなあ、と思い、
その辺を補正するための例えを思いついたのですが、書き直すのも面倒だったので
補足の別章として「当時の時代背景」について書いてみることに。
まず、平たく言えば、当時(戦国時代〜江戸初期)の頃の剣術というのは、
西部劇で言うところの早撃ちみたいなもんなんじゃなかろうかと。
つまり、
剣術 =早撃ち
武芸者=ガンマン
刀 =拳銃
であり、早撃ちが「銃を速く正確に撃つための技術」であるのと、
剣術が「刀を使って戦うための技術」であることは、
その扱いにおいて同じだったのだろうと。
故に、剣術は基本的にどこまでも実用術であり、高踏な精神性なんぞの
入る余地はほぼなく、ましてや活人だの治国平天下だの唱えた日には、
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ト.;;;;;》 =ニー-彡ニ''"~´,,...,,. レ')l. < おまえは何を言っているんだ
t゙ヾ;l __,, .. ,,_ ,.テ:ro=r''"゙ !.f'l. \____________
ヽ.ヽ ー=rtσフ= ; ('"^'=''′ リノ
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とか言われること請け合い、というのが当時の剣術の扱いであり、
その担い手たる武芸者の扱いだったわけで砂。
その意味では、剣術指南役といっても、金持ちの用心棒程度の存在でしか
なかったのではと。
(早撃ちが扱うのがメインウェポンたるライフルではなく、
あくまでサブウェポンたる拳銃、というのも、
槍や弓に対する剣の立ち位置に相似してるです喃)
まあ、アメリカでは大開拓時代が終わった後でも、
個人が拳銃を携帯する伝統は残ったままなので、
もしかしたら早撃ちの技術の実用性は残っているのかもしれませんが、
(この辺は当方不勉強なので、ご存知の方がおられましたらご指摘頂ければ重畳)
日本の場合、関が原以前に行われた刀狩などのことを考えると、
元和堰武が成し遂げられた後、武士ですら刀を携帯しなくなる可能性だって
あったわけで砂。
そうなった時、その刀を使うための剣術や、
その担い手である武芸者の立場がどういうものになるか…?
それをご想像頂ければ、宗矩の行った
「戦乱の時代の剣術」から「太平の時代の剣術」へのシフトが
どれだけの偉業であったかがご理解頂けるのではないかと。
はっきり言って「剣を変えた男」というより「剣を救った男」と言っても
過言じゃないですよ?
実際、今、剣術が精神性や意味を秘めた"道"たる技として受け止められ、
武芸者に求道者的なイメージが付与されているのも、
このシフトが無ければあり得ないわけですし喃。
言ってみれば、現在の価値観が過去を改変しているわけで砂。
その辺を認識頂ければ、宗矩という人物の特異性を
より掴みやすくなるのではないかと当方思う次第。
(つか、そのシフトを起こした当人が、そのシフト後の価値観によって
改変された"求道者的剣豪"の敵役になってるってのは奇妙且つ皮肉な話で砂)
ちなみに超余談ですが、
ガンマンや早撃ちに道とか精神性とかが絡むのってなんかあったっけ?
と、思案したら即座に出てきたのがよりにもよってコイツ(↓)
_ _, _ 、 、
.,,,r"''" ~`ノ)、
. / '-')ヽ
/ .、_ノν
(. 、、\ ヽ\ \、 ノノ-‐,'.ノ
ゝ 、`ミ丶、゙ヾ ヾ、_ノノノ彡,ノ
_ゞ;! r─-- 、` `,rェ--- 、ミ;リ
!ヘl;|. ぐ世!゙`` ,ィ '"世ン 「ヽ
!(,ヘ!  ̄'" |:::.`  ̄ ,ドリ ようこそ
ヾ、! !; ,レソ
`| _^'='^_ ム'′ 『男の世界』へ
,rト、 //ー-ヽヽ /|
_../ i|. \ '、!.(o~o).リ .,イ.:ト、
/ i| ゙、\. `~´ /リ.:;!:::\、_
゙! ゙、 `ー─''゙:::;:'::::|::::::::::\
…このAAだけ見ると、どっかの「やらないか」みたいで砂。
まあ、彼の言動(『男の世界』「公正な勝負は人間を成長させる」)を見て
感じる違和感が、当時の人間が、宗矩の「治国・治国平天下の剣」発言に対する
違和感に近かったんじゃなかろうかと思うと、
ますます宗矩は大したもんだなあと思ったり。
あと、少し話が変わりますが、十兵衛はよく柳生の異端児といわれますが、
むしろ逆で、宗矩の方がよっぽど異端なんで砂。
これは、他に剣豪と呼ばれる人物、即ち、武蔵や小野忠明、
あるいは尾張柳生の兵庫助利厳を見ればわかる通りで、
どの人物も、あくまで剣の腕で仕えた、または仕えようとしていたわけですよ。
そして十兵衛もそういう意味では従兄弟の利厳と同タイプで、
あくまで剣の腕で、というのが見えるわけで砂。
そういう意味では、普通の剣豪かな、と。
しかし、宗矩はそうじゃないわけですよ。
剣士であるにも関わらず、(一見)剣の腕とは関係ないところで将軍に仕え、
しかも、それでいて「天下一」と賞賛されたわけで、
これほど異端の剣士も珍しいかと。
その意味では、十兵衛の場合は、
せいぜい「ええトコの息子がヤンキーに!」程度で砂。
まあ、異端者の存在が時代の転換点となり、
その後の価値観の転換により、異端が異端として認識されなくなる、
というのは面白いトコで砂、と思ったところですいません、次もまた補足の話をば。
次は宗矩が剣の意味を変えた「動機」について、細かく書いてみようかと。