【柳生一族、そして宗矩】その10:柳生兵庫助利厳(3)「刀法の尾張柳生」

 さて、既に述べた通り、
石舟斎以降、柳生は二つに分かれます。
ひとつは宗矩が当主の江戸柳生(将軍家指南役)、
利厳が当主の尾張柳生(尾張徳川家剣術指南役)です。
今回は、世に「刀法の尾張柳生」を呼ばれた尾張柳生についてあれこれと。


 「刀法の」という枕詞が付くだけに、
尾張柳生は剣術の腕においては江戸柳生を越える、というのが概ねの評価でした。
それは、新陰流正統たる利厳が当主であることが最大要因だとは思いますが、
それを抜いても、尾張柳生にまつわる様々なエピソードから判断して、
その剣名が高かったことは間違いないと思われます。


 尾張柳生の特徴は、
「兵法は時代によって、恒に新たなるべし」という流祖上泉秀綱以来の訓示を守り、
新陰流を時流に応じて進化させていったことにあります。
実際、今に残る新陰流は、この尾張柳生の系譜(というか新陰流の正統)ですが、
無刀取りを悟った二世石舟斎に続き、尾張柳生が剣術上で成し遂げたものは
以下のようになります。


 三世利厳
  「直立ったる身の兵法」考案


 五世厳包
  「取り上げ使い」考案
  「中庸五箇の身懸」考案
  「柳生拵・柳生鍔」考案


 長岡房成(尾張柳生家補佐の家柄、十三世厳之の後見)
  「試合勢法」考案


 二十世厳長
  「新陰流居合」考案


 まあ、二十世厳長氏の時代は、既に昭和ですので、
江戸・尾張というものでもないのですけど、
それだけに、剣術としての新陰流の継承と進歩において、
尾張柳生はその名に恥じぬだけの実績を遺してきたと言えます。


 そんな尾張柳生において、利厳に続き、特に剣名の高かった二人の人物といえば、
まずひとりは、利厳の弟子の「高田三之丞為長」
もうひとりは、利厳の子である「柳生連也斎厳包」です。


 まず、高田三之丞ですが、
彼は元々タイ捨流(上泉秀綱の弟子、丸目蔵人が流祖の流派)の使い手で、
既に尾張徳川家に仕えていた利厳に挑み、二度やって二度負けます。
試合内容は不明ですが、この後、すぐに弟子入りを願ったという顛末をみると、
案外、上泉秀綱と祖父宗厳の最初の試合を再現してみせたのかもしれません。


 その後、三之丞は利厳の弟子として尾張柳生に入り、
以降、尾張にある利厳の道場にやってくる武芸者達に対し,
利厳の代役として立ち会うようになります。
試合に際し、三之丞は、「おいとしぼう(おいたわしゅう)」と声をかけて打ち、
これが外れることはまずなく、以降、利厳と立ち合う機会を得られた武芸者は
ほぼなかった、という話が伝わっておりま砂。
なんというか、利厳を秀綱に模せば、疋田豊五郎を髣髴とさせるものがありま砂。
後に尾張徳川家の家老にして利厳を尾張藩剣術指南役に推挙した成瀬隼人正に
剣術指南役として仕え、隠居の後は甫斎と称したそうです。


 そして、この三之丞と利厳の二人に仕込まれ、
後に「尾張麒麟児」「天才剣士」「尾張柳生最強」と謳われた人物こそが、
利厳の三男にして新陰流正統五世、柳生連也斎厳包でアリマス。
ちなみに、母が島左近の娘・お珠であるので、石舟斎の曾孫で島左近の孫という
伝奇力の強過ぎるハイブリッド野郎で砂。


 さて、そんな厳包の評価の高さは、新陰流の正統として、
剣士としての強さ、流派の進歩、後進の育成を全て兼ね備えたところにあります。
つまり、初代秀綱、二世宗厳、三世利厳と同じタイプであったわけで砂。
(こんなのがひとつの血族から連続して出ることが、まさに柳生の特異性で砂)


 まず、新陰流の進歩と後進の育成に関する面では、
初心者のための訓練法である「取り上げ使い」を考案したことが
最大の功績と言われています。
誰でも最初は初心者なわけですから、流派を広めるためにも、
この「取り上げ使い」の考案は革新的でありました。
(尤も、当の厳包自身は、周辺の子供を集めては竹刀を持たせ、複数相手に
 "隙があったらいつでも(自分を)打て"という状況で稽古してたそうなのですが)


 また、利厳が考案した「直立ったる身の兵法」を更に改良した
「中庸五箇の身懸」の考案や、より扱いやすくなった柳生拵、柳生鍔の考案など、
厳包の新陰流への功績は計り知れません。
実際、利厳と並び「新陰流を完成させた男」と言われていたりもします。
(「空手を終わらせた男」とかいう単語が浮かぶのは気のせいです。気のせい)


ミミミミミミ\ッ、ミ、!ヽ ヽ i| .ii i ヘ|ヽ=、_
ミミミミミミミジ‐-=ミミヾヾリ川リノノノミメヽ
ミミミミ三/:::    `゙'ヾ、川ノノノ''ミミヽリ
ミミ三='         `ヾ')ヾヽiヾヽ   ヮ ヵ
ミシ            ヽ  ツi i |丿   理解ってもらえないかも
ミ::::            ノ    i ''

::::    ッェゥ=ミz、、_     ,,、ッi     しれないけど
::::::.    ==、.._`ヾミッ,  /゙ノ
::::::::  .   ``゚‐'´`  ` ./-'./    新陰流って……
:::::             i. ノ
::::           ィ ヽ  |/\     いいなァ…………って

\:          ヽ-,、_ノ  \

::ヽ     ,=、、,ニ、_ ノ/     ヽ.
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   柳生連也斎厳包(AAはイメージです)


 そして、こちらが面白いところなのですが、他の柳生の剣士と比べて、
厳包は直接誰かと試合して勝った、というエピソードが多いので砂。
特に柳生の場合、無刀取りに代表されるような勝ち負けを越えた話が多い中、


 「師範になってすぐに、新陰流と一刀流の剣士数十人を相手にして勝った」
 「家光の御前試合で(江戸柳生の)宗冬と立ち合って一撃で親指砕いて勝った」


 などの「厳包超強ぇ!圧倒的じゃないか我が軍は!凄いよ兄さん!」
という塩梅の話が多く、ある意味、痛快であります。
(まあ、宗冬との試合の顛末は史実かどうか疑わしいところもあるのですが)


 ちなみに生涯独身で、女性の縫った着物すら着ないという徹底振りだったらしく、
「嫁貰え。後継ぎ作れやコラ」と主君に言われたのに対し、


             ___,,,,,..... -一ァ
         / ̄;;;´;;、;;;ヾ;;;, -──--、,!
.        /'´|;;;;,、;;;;;;;;;;/      ,!
.         /:.:.:.レ´:.ヾ;;;;;;i   断  だ ,!
       /:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヾ;i  る  が ,!
.      /:.;.イ:.:.:.:.:.:.:.:.:.:..ヽ       ,!
.       /レ' ;|:.:.:.:.:.:.:,:ィ:.:.:.:〉 __,.,!
     /-、ヽ,:|:.:.:,/ /:.:.://.:,:ィ:.:.:.,!
      /'ヽ、ヾi ゙´.:   /__;:;:-'"´ ,;|:.:.:.,!
.    /ゝ-`';:/ .:〈ニ=-=ニ二 ̄ヽレ',!
   /::::;;;;;/  ' ,, ニ`ー-,、__\〉ィ,!
.   /;:::::/ ::.    ::.,,\_ゞ;'> 〈;,!
  /i!:::::iヾ-'、::..       '';~ ,;:'/,!
. /;;;i!fi´l_、,.`        .: ,;:'  ,!
/;;;;;i' ('ー、ヽ      ..: ,;:''   ,!
ヽ、jゝ、`ヾ:、゙、   ,..:'.:'"    .: ,!
   ``ヽ.、_ ¨`  ,:'      (_r:,!
       ``ヽ.、..    ノr;ソ~,!
             ``ヾ、 / 7,!
                 ``ヽ,!


 と即答。曰く、


 「ハイパー賢者タイムに不覚を取ったら不名誉なので嫌です。
  結婚したら負けだと思ってる」


 と返したという別の意味でも豪の者であり、
魔法使いどころの話ではなく、言うなれば剣豪大魔導師とでも。
おまけに死んだ後は遺言で遺骨を熱田沖の海上に撒かせたりしてます。
それゆえに、「麒麟児」「天才」のほか「奇人」呼ばわりされることも多く、
まさに紙一重な趣もあるが故に、面白い人物でアリマス。


 あと、最後にもう一人、個人的に気になってる人物がいまして、
これも軽く紹介を。


 その名は柳生清厳
利厳の長男であり、厳包の兄という人物です。
つまり、本来ならば新陰流の正統を継ぐはずだった人物でアリマス。
(厳包は庶子で、母方の島家を再興させるため、元は島姓だったため)


 この人物、当然利厳から新陰流を叩き込まれ、
また、自分でも宝蔵院流の槍を習得している上、学もあり、風流も解したという
なかなかの人物だったのですが、徳川義直の小姓となってしばらくして、
病によって任を辞せざるを得なかったという悲運の人だったので砂。


 まあ、ここまでならよくある悲運の人なのですけど、
清厳はここからなのでアリマス。
ヤイサホー!


         (ヾ;;;;;;;;;リツ;;;;;;;;;;;;ノ彡;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;彡ミニ==ヽ
      〜==キ;;;;;;;;;/;;;;i ;;;;;;;;;/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;彡='´`
      r彡;;;;;;;;ミ,ゞ゙''‐=ヽヾヾ!i //,,//彡;;;;;;;;;;;;;ミェ-‐ゝ
      ノ;;;;;;;;;;;;/  ::..  ::    .:  ..:  ..ヽ;;;;;;;;;;;ヽ,,、 
     ノ;;;;;;;彡i   ::.. :::. ::..  .:: ..::  ..::  !;;;;; ;;;;;;;;;;;ミ=-
    タ;;;;;;;;;;//  ,,、、 ::::.. ::. :::..:::. .:: .::  ,,.、 \;;;;;;;;;;;;リ'゙ヽ-
   エ;;;;;;;;;;;;;リ' ,ィ彡'ミミッ;,、、:::: ::;、: ::::;;;;rッ彡'゙ミェ、, .i ;;;;;;;ミュ==- 死ぬにはいい日など
  フ´;;;;;;;;;;;;リi if´;;  _,,二、ヾキr/:::ヽrf!''´,ニ、、;;; ヽ);;;;;;;;;;ニ-=
 //;;;; ;;;;;;;;彡|ヽ-=<  ◎ >;; ヽ  /`;;< ◎  ,ヽ;; .iミ;;;;;;;;ゝ-=   死ぬまでないッッ
 リ !|j;;;;;;;彡 リヽ、 _`;;;‐='';;:゙´  i   ::;;;゙=;;‐'´''; ノミ;;;;;;;三´`ヽ_
 .! ゙ヾリ;;;;;;;/´゙i ゙';;'´ .;;   ::   | !  ;;゙  ;  .;;''ミ‐、;;;;;;;彡ミ=ヽ、ヽ
  ) /i ;;;;;;!( !i、....;;、 ゙;, ,,.:::;/(´ ヽ '`''-::;,   ;:´ リ^ );;;;;;;ミ、 ヾj
  ./!ノi|;;;;;i\ヽi ゙';;::''゙´  ''- i` ´ハ'    :;:'゙:::、/ノ/;;;;;;;;;;;ミ     いつだって───
  ノ//ヾ;;;;;;;;ヽ ゙i ;;:::::.,,  /!ll!'''__゙゙!iiヽ,,、;;;;'゙´ ミ i;;;;;;;;;;ミヾト、
  チ/´ニリ彡;;リヽミッ,_ `;;;;;:: ‐'´ー‐`‐ ::;;:;;; ,、ィ゙:Y'´ヾ;;;;==ヽヽゝ今日を生きるしかないッッ
  ! |'´  ノ/ヾiリi`'::;;ヽ,/  ;;;:`ー‐´:;;   ヽィ::::  |!!ヾミ三ミ-=-
   ヽ  ノ  ヾ|  ::::゙ゝ、 ;; ,  、 ;;; i,,イ::::   .i巛ミニ==
    ヽ  _二ノ   :::::::゙ヽi ノソ( )r ;;イ!;;::::    .!!iiヾ\\
    ,r‐'' ´ ノ     :::::  ゙゙'''=゙゙´ ::::;:      `ヽ''=‐-、_
              柳生清厳(AAはイメージです)


 なんと、この清厳、
「このまま病で死ぬのは不名誉なので、今から島原行ってシグルッてきます」と
槍を片手にキリシタン一揆真っ最中の島原へレッツゴー。
そのまま大奮戦の末、見事戦場での討ち死を遂げてしまうので砂。
なんというか、祖父の厳勝(石舟斎の長男)といい、伯父の純厳(厳勝の長男)といい
はたまた江戸柳生の三厳(宗矩の長男)といい、宗春(宗冬の長男)といい、
柳生の長男ってなんか呪われてんのか(全員早死or若くして不具に)、と
言わんばかりでアリマス。
つか、これだけ一族の長男ばっかりなんかあるってのも奇妙です喃。


 最後は「柳生家の謎!嫡男早逝の原因に石舟斎の過去が!?
因縁の鍵は海の彼方に!」とかいう趣で全然違う話になりましたが、
まあ、これが尾張柳生でアリマス。


 宗矩・十兵衛が目立ちすぎたせいで、影に隠れる風情もある尾張柳生ですが、
流石に正統だけあって、調べると色々面白いでありますよ(特に厳包)
また機会があったら別に書いてみたいとこで砂。


 てなわけで、それでは延々続いた利厳と尾張柳生の話も次で最後、
ここで宗矩率いる江戸柳生と、尾張柳生の間の話をさせて頂く所存ー。