【柳生一族、そして宗矩】その15:柳生但馬守宗矩(3)「柳生宗矩の豊臣家滅亡〜坂崎出羽守事件」

 さて、秀忠の将軍宣下に伴い、
将軍家剣術指南役、及び、秀忠の近侍になった宗矩ですが、
時代は容赦なく流れていき、遂に最後の決戦が始まります。
慶長十九年(1614)の大坂冬の陣、慶長二十年(1615)大坂夏の陣です。


 なお、冬の陣の際は、南都(奈良)奉行、中坊秀政とともに
徳川軍の先導を勤めていたそうなのですが、
この時の活躍は、これまた細かな記載が無いため省略します。
問題は、夏の陣の方です。


 大坂夏の陣の際、将軍秀忠の近侍として秀忠の傍に控えていた宗矩ですが、
ここで、大坂方の将・木村重成の一族、木村主計が手勢と共に
不意打ちを仕掛けてきます。
その数、数十名。


 しかもこの時、如何なる事態が起こったか、
秀忠の周りには宗矩しかいなかったという状況だったそうです。
味方がいない今、無防具軽装とはいえ、死兵となった数十名が向かってくる、
という状況で、


 遂に宗矩が、生涯最初で最後の剣を抜きます。


 宗矩は、秀忠に襲い掛かってくる兵を新陰流の剣によって次々と斬り倒し、
7名を討ち果たして、敵を撃退した、と「徳川実紀(徳川幕府による公式記録)」は
伝えています。


 この話の面白いところは、
守った宗矩側(江戸柳生家)の伝書には、そのような記載がないにも関わらず、
守られた秀忠側(徳川幕府)の公式記録には載っているという点で砂。
(更に言えば、この倒した人数を数えたのは秀忠当人だそうです)


 これが何を意味しているのかは、色々推測がありますが、
(自らの武功を自賛するものではないと考えた、実は秀忠を守ったのは
 自分(宗矩)ではなかった、など)ここで言えるのは、
もし、徳川実記のこの記述が事実なのであれば、
宗矩の剣の技量は、やはり相当なものがあったと言えるのではないか、
ということで砂。


 容易に想像できると思いますが、自分一人だけで
主君に襲い掛かる数十名の死兵を撃退しようというのは、相当な技量が必要です。
何故なら、戦っている間、常に自分以外のことを気にかけて
動かなければならない上、更に、自分自身に斬り付けてくる敵を
撃退しなければならないわけですから。


 しかも、宗矩はこの時、秀忠に向かい、
「人を斬るとはこういう具合でござる」と言いながら、
次々と斬り倒していったという話もあって、
そうなると、自分達より数の多い死兵に囲まれ、
主を守りながら戦わなければならない状況で、
まだ人に物を教えようとする余裕があった、ということになるわけであり、
これはもう到底尋常の腕ではありません。


 宗矩が剣を抜いて人を斬る話は、史料による限り、
後にも先にもこれだけなのですが、
実際にこの通りの実力なのであれば、後に、他流試合を断り続け、
自らの剣を新陰流の身内(将軍家含む)以外に見せなかったのは、
「これ以上、剣を抜いて名を上げる必要性を感じなかったから」と
考えることもできま砂。
(実際、武芸者が立ち合いをした理由の一つは、
 「戦いに勝って名を上げ、その名声を元に仕官すること」なわけですし)


 そんな宗矩の、生涯でただひとつだけ剣で人を斬った話と共に、
大坂夏の陣は終わり、ここに豊臣家は滅びます。


 しかし、ここで厄介な出来事がひとつ起こります。
豊臣秀頼の妻にして秀忠の長女、家康の孫娘たる千姫の件です。
世に言う「坂崎出羽守事件」でアリマス。


 この事件は、俗説によれば、


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 燃え上がる大坂城を前に、家康が
「誰か、誰か千(姫)を助けよ。千を助けた者には、千を嫁にとらすぞ」と
叫んだことで、これを真に受け大坂城へ突入、見事千姫を救出したのが
坂崎出羽守直盛。


 しかし、その際、坂崎は顔に醜い火傷を負い、それを嫌った千姫は、
結局、徳川四天王の一人・本多忠勝が嫡孫、忠刻の元へ嫁ぐことになるが、
これを承服しない坂崎は、兵を挙げてでも千姫の輿入れを阻止せんと
気勢を上げる…。

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 ということなのですが、実際のところは諸説入り乱れており、
上記の俗説に対しても、個々の個所にツッコミが入っていて、
何が真実なのかわからない、というのが正直なところなので砂。


 例えば、


・家康が「千姫を助けよ、助けたら嫁にやる」と言った。
  → ンなこと言ってない。端から助ける手筈はついていた。
   (または、死んだら死んだで割り切るつもりだった)


・坂崎が燃える大坂城に飛び込み、千姫を救出した。
  → 大坂城内部の千姫の御付の者が千姫を逃がし、
   これを自陣にて受け取ったのが坂崎であり、そもそも突入自体してない。
   更に言えば別に火傷もしていない。
   坂崎がやったのは、千姫の家康の元への護送。


・坂崎は約束通りに千姫との婚姻を望んだが、千姫は火傷が醜い坂崎を嫌った。
  → そもそも坂崎は千姫との婚姻など望んでいない。
   坂崎は千姫の再婚先を探すことを家康より依頼され、
   結果、話をつけた公卿との縁談を、徳川側の都合で反故にされた。
   (反故の理由は不明。美形の本多忠刻千姫が惹かれたとも言われてるが…)


 てなとこでしょうか。
逆に、ツッコミ側の説だけで話をまとめてみると、


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 大坂城落城時、豊臣秀頼正室であった千姫は、
配下の者の手により、落城前に徳川側に送り届けられた。
この時、豊臣側より千姫を受け取り、家康の元へ送り届けたのが坂崎。


 その後、寡婦となった千姫の再嫁先を探すことになり、
その相手先は公卿の方が良かろう、ということで、公卿と縁のある坂崎に対し,
縁談先を探すよう家康より依頼があった。


 坂崎は苦労して縁組一歩手前まで話を進めたが、
ここで突然、千姫本多忠刻のところへ嫁ぐと通達が。
縁組の話は反故に。


 面子を潰された坂崎は、幕府に抗議。
姫が姫路へ輿入りするならば、途中、兵を使ってでも妨害すると気勢を上げ、
屋敷に篭る。

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 てな塩梅でしょうか。
まあ、どちらにせよ、千姫の縁談絡みで坂崎が面子を潰されたと感じ、
千姫の輿入れを妨害すべく、気勢を上げていた、というのは同一です。
また、どちらにせよ、坂崎の面子を潰したのは明らかに徳川側である以上、
単純に力押しにするのは憚られる状態ではありました。
(ここで力押しをすると、徳川家への信頼が損なわれ、
 政情が不安定化する危険があった)


 こうして、秀忠と幕閣は悩んだ末、これを謀反として扱い、
不届きであるとして、坂崎に自刃させる方向で話を進めることにしました。
まあ、大概勝手な話なのですけど、ともあれ話はまとまり、
坂崎へ使者を立てることになりました。


 この時、使者に選ばれたのが、宗矩です。


 一説によると、宗矩と坂崎の間には友誼があったらしく、
その点も選ばれた一因だと思われますが、これを宗矩が受けた理由は、
その友誼もさることながら、この難問を解決することで名を上げるチャンス、
即ち、「剣の腕以外で自分の評価を上げることができる機会」でも
あったことが大きいのではないか、と考えられるのではないかと。
(まあ、上意ですから断るのも難しいところでしたでしょうが)


 おそらくですが、この頃、既に宗矩は、単に剣を振るうだけでは
これ以上の出世は不可能であることに気づいていた可能性があります。
豊臣家が滅びたことで、徳川による支配体制が日を追うごとに確立し、
元和堰武の宣言、武家諸法度の発布と、戦乱の時代は終わりを告げ、
新たなる秩序体制へ移ろうとしていたことが、当の将軍秀忠の剣術指南として
身近で見ていた宗矩には、肌で感じられたことと思われます。


 即ち、戦乱が遠ざかるということは、
戦いのための技術である武芸(剣だけでなく槍や弓や銃も)の価値が落ち込み、
それと同時に、武芸者の価値も下がっていく、ということです。
それは、剣術指南役たる己の価値が下がっていく、ということでもありました。


 そのため、自分がこれ以上出世をするためには、是が非でも、
自分が単なる剣士以上の存在であることを証明しなければなりませんでした。
(宗矩が何故出世にこだわったかについての推測は後にまとめて述べます)
事実、宗矩の他にもう一人いた将軍家剣術指南役にして一刀流正統である小野忠明
最後まで剣士以外の存在になれなかったこともあり、
この時点での家禄六百石が、まったく変わらないままに終わります。
(後に、子の忠常(家光の剣術指南役)の代になって二百石加増され、
 八百石になっていますが)


 ちなみに、これは小野忠明に限らず、
武芸を以って仕える指南役(またはそれに相当する武芸者)で、
石高が千石を越える者は滅多におらず(後の尾張の利厳ですら五百石)、
ただ二人の例外は、


 ・将軍家剣術指南役・柳生宗矩(この時点で三千石)
 ・加賀前田家剣術指南役・富田越後守重政(一万三千六百七十石)


 この二人だけでした。
(ちなみに重政は中条流の正統で「名人越後」と呼ばれる程の剣士でしたが、
 それ以前に、先代よりの前田家の重臣(つまり武将)でした)
つまり、武芸の、そして武芸者の価値は千石以下、というのが
当時の認識だったわけで砂。


 閑話休題
ともあれ、この件について、宗矩は断固として剣に頼らずに事にあたります。
かがり火が焚かれ、騒擾たる屋形に赴いた宗矩は、坂崎出羽守に面談を求めます。
(この時、一説によると無腰だったとも言われてますが、詳細は不明)
坂崎と話す場を得た宗矩が、二人のみの間で何を語ったかは不明でありますが、
おそらくは、こんな感じだったのではなかろうかと。


 1:坂崎にここに至るまでの悲憤慷慨、坂崎家の今後への不安などを
   心ゆくまで語らせる
 2:更に、坂崎の心情に理解と同情を示し、決して坂崎の行為が
   非道なものではないことを認める
 3:その上で、輿入れ妨害の無意味さ、それによる世情の不安定化、
   今後の坂崎家の存続などについて道理を説く
 4:最後に、今、自刃すれば、坂崎家については出来得る限りの
   取り成しをすると約束

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        「坂崎を説得する宗矩(イメージ図)」


 言ってみれば、新陰流の基本たる「相手を動かして勝つ」を説得に応用した、と
いうところなのでしょうが、まあ、これは所詮推測ですので、なんともはや。
ただ、結論から言えば、坂崎は自刃を選択し、また宗矩は坂崎邸を無事に退出、
その後、坂崎家は幕府の裁定に服した、という結果になったことを考えると、
然程に事実とかけ離れてるわけでもなかろうな、と思うのですが。
(尤も、一説によると、この会話を聞いた家臣が、自刃の体裁を以っ
 て出羽守を殺害したとも、それも含めて宗矩の仕込だったとも言われてますが、
 真否も含めて不明)


 さて、こうして坂崎出羽守の自刃によって収束したこの事件ですが、
その結論は以下の通り。


【津和野藩坂崎家】
  津和野藩坂崎家は取り潰し。
 ただし、家財などは弟の坂崎大膳が受け継ぎ、家系そのものは中村家が継ぐ。


【宗矩】
  この後、津和野城引取りの上使となり、
 事後処理も含め、事件を無事に片付ける。
 この件の褒美として出羽守の伏見邸、武器類、二蓋笠の家紋を与えられる。
 (この二蓋笠が、以後「柳生二蓋笠」と呼ばれる柳生家の定紋となる)


  また、出羽守の嫡子平四郎を引き取り、二百石を与えて柳生庄に住まわせ、
 出羽守の家臣の近藤源左衛門、庄田治右衛門のふたりを自分の家臣として
 引き取り、面倒を見た。


 結論だけ言えば、宗矩の説得通りにはいかず、
津和野藩坂崎家はお取り潰しになってしまいます。
(この結論自体は事前に決定しており、宗矩がそれを知っていたかどうかは不明)
結果的には出羽守をだます形になってしまったわけで、
まあ、宗矩を恨む家臣も出たであろうな、というところでしょうが、
宗矩自身もかなり忸怩たるものがあったと思われます。
それは、出羽守の遺児・平四郎と家臣二人を引き取ったことや、
柳生家の紋を、代々の吾亦紅から二蓋笠に切り替えたことに見ることができるかと。
(実際、この時の宗矩はだいぶヘコんだらしいという話もあるそうなのですが)


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    / l ,;;  |l  /`'';, ,,   /   ,;;''"゙''   l     /
          ヘコむ宗矩(イメージ図)


 個人的には、単なる使者としてではなく、
直接この事件を決裁する権限が宗矩にあったならば、
如何なる結果になったか、と思うと、なかなか興味があるのですが、
ともかく、こうして剣術以外の才があることを幕閣に示した宗矩は、
更に時代が変わることで、新たなる状況に直面することになります。


 てなところで、今回は終了。
次からは、三代将軍家光が就任するところに端を発し、
いよいよ宗矩がその真価を発揮する時代の話をしようかと。