荒山徹は止まらない


 さて、先日のトークショーに参加し、
荒山徹という作家の言を聞いて思ったのは、
彼の人物がパーフェクトナチュラルパワーであり、
ガチそのものである、ということだったのですが、
これにより、以前から懸念していた「あること」が
杞憂で済むかと、ほっとしていたり。


 それがなにかといいますと、
「荒山先生はいつネタ切れを起こすのか」という
不安であり、諦念でアリマス。


 高麗秘帖から柳生大戦争まで、
歴代作品を読破した荒山ファン諸兄におかれましては、
荒山先生が刊を追うごとに自由奔放かつ縦横無尽となり、
新刊が出るたびに


 「果たして荒山先生は正常なのだろうか」


 などと、恐れおののきつつもwktkが止まらなかったわけですが、
その反面、いずれ来るであろう限界に対して、
一抹の不安を抱えていたわけでアリマス。
(とりあえず当方は、という話ですが)
だって、これ以上どうするんだよ!と。


 ですが、今回のトークショーにおける、


>Q:ネタが多いですが、
>  誰も気づいてないってネタはある?
>荒:「…そんなのないですね。
>   ネタなんて仕込んでませんから。


 この問答の意味を悟った時、当方の脳内には、
かつて昔、キン肉マン王位争奪編における
アシュラマンVSサタンクロス戦でアシュラマンが放った
この名言が。


 「数字の8を横にすれれば∞(無限大)!」
 「阿修羅無限大パワー!」


 …なんだかよくわかりませんね。すいません。
ただ、言いたいのは、そもそもネタなど存在しないからこそ
逆に言えば「ネタ切れ」など起こり得ないわけでアリマス。
でも、荒山先生は平気なのです。
だってネタじゃなくて素ですから。
素で書けばそれがネタになるのです。
魯迅曰く、


 「もともと地上には道はない。
  歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」


 そしてジョルノ・ジョヴァーナも言いました。


 「『覚悟』とは!暗闇の荒野に!
  進むべき道を切り開く事だッ! 」 


 斯様なわけで、荒山先生が暗闇の荒野ならぬ
オリジナル朝鮮半島を爆走すると、
そこには道ならぬ新しい新刊が湧き出でてくるわけですよ。


 しかも恐るべきは、
荒山先生が30を越えるまで
朝鮮知識がゼロであったという超驚愕の事実。
更に、柳生すらその時点では殆ど興味レスであり、
伝奇からもかなり距離を置いていたわけですよ。
それでいて、最初に書いたのが「高麗秘帖」、
そして次が”あの”「魔風海峡」であり、
作品内における大ヒット朝鮮忍術であるところの
高句麗忍法・大武仏が炸裂した際の荒山先生の名台詞。


> 荒「仏像が大きくなって何が悪い!


 いくら「一般教養(荒山先生:談)」が
あったとはいえ、この突破っぷりはただ事ではありません。
そして、この前後くらいから、
荒山先生が本格的に山風・五味作品を読み出し、
ハイキングの際、偶然立ち寄った小柳生の芳徳寺で
柳生家代々の墓の前で、


> 「おお!柳生は実在したッ!」


 と「エウレカ(見つけたぞッ!)」したわけで、
その結果、生まれ出たのが荒山先生のファースト柳生たる
「魔岩伝説」であり、そして「十兵衛両断」に繋がるわけですよ。
その一撃必殺の伝奇力の威力は周知の通りであり、
それをもたらしたのは間違いなく荒山先生自身の
伝奇力ゲージがギュンギュン上がったことによるわけで、
この現象を、かのグレンラガン最終話での名言を元に
表現するならば、


 「荒山徹は!一分前の荒山徹よりも進化する!
  ひとつ学べば、ほんの少しだが前に進む!
  それが荒山徹なんだよ!」


 というところでしょうか。
つまり、「荒山先生は未だ完成していない」のでアリマス。
多分、ゲッタードラゴンくらい。
荒山先生の限界はどこなんだよオイ、という心持で砂。


 もしあの場で、荒山先生が
「あのネタはこれこれ、このネタはそれそれ」などと
苦心譚などを語っていたら、それはそれで面白く感じたのでしょうが、
「荒山先生もそろそろ限界なのか」などという不安も
じわりと湧いていたわけで、
そんな不安を漠然と抱えていた身としては、
冒頭の荒山先生の「全文これネタ」以外の何物でもない
発言の数々には闇の中、心揺さぶられるものがあったですよ。
ここで大地割りそそり立つ姿はワンゴン様なのか大武仏なのか。
まさに「スペース(脳内空間)ランナウェイ」。


 とりあえず、荒山先生が未だ進化し続ける限り、
荒山作品も進化し続けるわけで、当面、我々は
その一挙一動に恐れおののきつつ快哉を叫べそうで、
なによりでアリマス。


 どっとはらい