【柳生一族、そして宗矩】その5:柳生石舟斎宗厳(2)「新陰流修行〜無刀取り開眼・新陰流正統を継ぐ」


【前回までのあらすじ】
 新陰流の噂を聞いた五畿内一のつわもの、柳生新左衛門宗厳は
宝蔵院に宿泊中の上泉秀綱に挑戦したけどコテンパにのされた。


 「上泉伊勢守…俺を、俺を新陰流の弟子にしてくれ!」(風見四郎風に)
 「おっけー」
 「軽っ」


 宗厳は新陰流に弟子入りした。


 「がんばるぞう」


(あらすじおわり)


 てなわけで、秀綱から新陰流を学ぶことになった宗厳ですが、
元々強かった分、修行そのものは割と順調に進んだので、
途中までは特に書くことありません。


 そして、秀綱を柳生庄に迎えて半年、
ここで足利将軍義輝への剣技上覧のため、秀綱が京へ向かうことに。
既にこの時点で、ほぼ新陰流の技を全て学び終えたと思われる宗厳に対し、
秀綱は、ある公案を宿題として科します。


       「無刀の太刀いかに」


 即ち、「無刀取り」の公案でアリマス。
以前、無刀取りこそ柳生新陰流の特異性であると述べましたが、
概念そのものは、既に上泉秀綱の時点で存在していたので砂。
ただ、この概念は、あくまで天才・秀綱個人の中にのみ存在し、
新陰流には含まれていなかったのでアリマス。
これは、秀綱自身も完成できなかった、ということなので砂。
(つまり、やろうと思ったらできるけど、
 秀綱自身もどうやったらできるのか、言語化できない状態)


 この公案を科した話が、
他の弟子達(疋田豊五郎、丸目蔵人など)の流派には伝わっていないことを見るに、
おそらく、これは宗厳ならばなんとかするんじゃないかという
秀綱の期待の現れとも取れます。


 ともあれ、師匠自身すら未だ解けぬ公案を出された宗厳はシンギングタイム。
あれこれ試行錯誤&思案の限りを尽くします。
その途中、外で座禅組んでたら天狗が見えたのでぶった切ったところ、
目の前の巨石が真っ二つに!これが一刀石でござる、とかいう
超胡散臭い愉快エピソードを交えつつ、
宗厳は遂に「無刀取り」の極意を編み出します。


 そして時は過ぎ、柳生庄に戻ってきた秀綱に、宗厳は無刀取りを披露します。
この話の最初の方で、「無刀取りは個別の技術ではなく、ものの考え方である」と
書きましたが、実は技法は技法であるので砂。
それも、新陰流の太刀それぞれに対応する形で。


 なお、ここでもどう披露したかは諸説あって、
打ち太刀の相手は秀綱当人だったり、神後宗治だったり、疋田豊五郎だったり、
獲物も真剣だったり木刀だったりと、相手も獲物もバラバラの上、
その披露の内容も違ったりするのですが、まずは、また会話風に一例をば。
宗厳に対し、神後宗治こと鈴木意伯が打ち太刀をつとめ、
秀綱はそれを見る、という状況です。


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意伯「では、参る」
宗厳「お待ち頂きたい。
   この場においては、鈴木殿には真剣を使って頂きたく」
意伯「万一のことがあれば、危険でござる」
宗厳「心配無用。存分に打ち込まれよ」
意伯「では、遠慮なく。
   …柳生殿、そのように構えられては、
   取ると明言しているようなものでござる。
   普通に歩いているところへ、拙者が打ち込み申す」
宗厳「これは確かに。
   では、向こうに歩き申すので、隙を見て打ち込まれよ」
意伯「承知」


  (すたすた)


意伯「柳生殿、もう壁でござる。
   中央に戻ってやり直し申そう」
宗厳「左様ですな」


  (やり直すべく、くるりと向く宗厳)


意伯「はあっ!」
宗厳「!」


  (仕切り直しの一瞬の隙に打ち込んだ意伯、
   次の瞬間、木刀は宗厳の手にあり、意伯は倒れていた)


意伯「こ、これは…!」


秀綱「見事なり、無刀取り!」


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 多分、この時の意伯の心境は以下のような感じだっただろうと。
(これは、はじめて新陰流と立ち会った時の宗厳も同じでしたでしょうが)


         ,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
         (.___,,,... -ァァフ|          あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
          |i i|    }! }} //|
         |l、{   j} /,,ィ//|       『おれは奴に切りかかったと思ったら、
        i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ        いつのまにか刀を取られていた』
        |リ u' }  ,ノ _,!V,ハ |
       /´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人        な…何を言ってるのかわからねーと思うが
     /'   ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ        おれも何をされたのかわからなかった
    ,゙  / )ヽ iLレ  u' | | ヾlトハ〉
     |/_/  ハ !ニ⊇ '/:}  V:::::ヽ        頭がどうにかなりそうだった…
    // 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
   /'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐  \    超スピードだとか催眠術だとか
   / //   广¨´  /'   /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ    そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
  ノ ' /  ノ:::::`ー-、___/::::://       ヽ  }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::...       イ  もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
         (鈴木意伯さん・談)


 こんな具合に、かつて新陰流の前に一方的にあしらわれた宗厳は、
この場で、新陰流の新たなる境地、無刀取りを以って、
打ち太刀の相手を圧倒します。
(他にも秀綱自身が打ち太刀に立つが、宗厳の隙の無さに打ち込めず、
 「参った!」と言った話もあり)


 ちなみに、ここで重要なのは、単に刀を取ったということではなく、
そのための理論、技術を明確にした、ということなので砂。
つまり、それまでは名人個人の技能や、あるいは偶然に寄っていたものを、
学び得るものにした、というのがキモなのでアリマス。


 ともあれ、己が科した公案に、見事な回答を返した宗厳に対し、
秀綱は、頃合よし、と見たのでしょう。
その場で新陰流の一国一人の免許を与えた上で、宗厳に新陰流二世を継がせ、
以降、柳生新陰流と名乗るよう伝えます。
時に永禄八年(1565)のことです。


  ここに「柳生新陰流」が誕生したのです。


 てなわけで、次からは宗厳が新陰流二世にして、
柳生新陰流の流祖となってからのお話をしようと。