そもそも「イシカワ化」とは何ぞや


 さて、イン殺さんトコのwikiに載っけてた分のイシカワ化も
せっかくなので、ちまちまこっちに移していこうかにゃー、と思う所存。
まあ、向こうのは向こうので消すつもりはないのですけど。


 で、そこで気づいたのですけど、
そもそも「イシカワ化」とは何ぞや、という定義が
明確にはなっておりませんでしたな。
これはいけません。


 尤も、ここを見に来るような人間の大半にとって、
そんなこたぁ周知の事実、荒山小説に朝鮮が必ず絡むが如き事象であり、
それを今更語るのは、上等の料理にハチミツをぶちまけるが如き愚行なのは
合点承知ではありますが、まあ、そこはそれ、世の中には愚行権という
便利な概念が存在し、また、物事には手続きというものが要るのですヨ。
今後の為にも。


 てなわけで、以下、「イシカワ化」の定義についてひとくさりをば。


【そもそも「イシカワ化」とは何ぞや】


 イシカワ化とは、



 「この世に存在するありとあらゆる事象を、
  全て”石川賢”という価値観を通して再構築する」


  という行為と、それによって再構築された事象そのものを指します。
 その結果として現れたものが、今まで書いたイシカワ化であり、
 大本を辿れば、イン殺氏の「ぶっ殺し帳面」私家版「世界の中心で、愛をさけぶ」
 なるわけでありますが、ここで肝心なのは、
 「ではその”石川賢”という価値観はなんなの?」ということです。


【”石川賢”という価値観】


 石川賢という価値観は、根源となる第一原則と、
それを補足する第二原則、そして、数々の要素によって構成されます。
まず、第一原則はコレです。


 第一原則 「永遠の闘争」


 そのままですね。
石川賢という価値観において、世界とは闘争の為の舞台であり、
登場するキャラというキャラは必ず闘争をするのであり、
存在する道具は大なり小なり(巨大ロボから日本刀まで)
全て闘争の為の道具なのであります。
故に、その物語も全て”永遠の闘争”のうち、
個々の一部分を切り取ったものになります。
石川賢とは、闘争なのです。


 しかし、それだけでは物語に
カタルシスというものが生まれません。
闘争が永遠に続くのであれば、物語に果てはないのではないか、
倒そうが倒すまいが一緒ではないのか、という一種の虚無感で砂。
それを補足するのが、以下の第二原則です。


 第二原則 「攻撃し続ければ、いつかはくたばる」


 コレであります。
これにより、如何なる強敵や、そもそも敵という概念で捉えきれぬものが
己に対立する存在として存在したとしても、主人公たちは絶望をしません。
何故ならば、攻撃し続ければ、いつかは倒せるからです。
そして、カタルシスは敵を倒したところに発生するのです。
え?その前に自分が死んだらどうするかって?
そんなものは死んでから考えればよかろうなのでアリマス。


 あとに残るのは、上に上げた2つの原則を物語としてまとめたり、
あるいはバリエーションを出す為の「数々の要素」でアリマス。
大雑把に言えば、こんな感じでしょうか。


 「忍者」「空間」「同化」「増殖」「超越存在」「異世界
 「巨大ロボ」「サイボーグ」「爆発」「宇宙」「不死身」
 「重火器」「日本刀」「グルグル目」「蟲」「木製蒸気」「妖術」
 「ぐわ!」「ぎゃあ!」「グハハハハハ!」「女性キャラが萌えない」
 「そうか、そうだったのか」「俺達の戦いはこれからだ!」


 無論、これ以外にもネタによって色々と追加されたりしますが、
概ね、第一原則・第二原則を組み込まれた物語に対し、
この辺りの要素をぺたぺたくっつけていくことにより、
石川賢”という価値観による物語の再構築は完了するわけです。
これが、「イシカワ化」の一連の流れな訳で砂。


【さて、それでは】


 斯様なところが、「イシカワ化」の定義というところでしょうか。
要するに原作が如何なる物語であるかを問わず、
全てを闘争に、というか大暴れの一言に還元させるわけで砂。
それも、単なる大暴れではなく、一心不乱の大暴れであり、
三千世界の鴉を殺す嵐のような大暴れでアリマス。
そして、物語の終わりを気にする必要などありません。
何故ならば、この闘争は永遠に続くのですから。
それでは皆さんご一緒に!


 「どんな頑丈な野郎でも、攻撃し続ければ、
  いつかはくたばるんじゃぁぁぁぁぁぁっっ!!」